2015  9  No.485


アンケート調査

 山口県内企業経営・設備投資動向調査 (8月調査)


地域ニュース
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明 治 維 新 ゆ か り の 地
四境の役砲撃戦跡(周防大島町)
浄西寺の石垣
浄西寺の石垣
四境の役大島口本陣の記念碑(西蓮寺)

四境の役大島口本陣の記念碑(西蓮寺)

 山口県の東端に位置し、瀬戸内海を挟んで四国を望む周防大島。幕末に起こった幕府と長州藩の戦い「四境の役」は1866年(慶応2年)6月、この島で火蓋が切られた。島の浄西寺の石垣には、幕府の軍艦が砲撃した跡が今も残り、激戦の証をとどめている。
 この戦いは日本史の教科書では第二次長州征伐と記されているが、四国との境「大島口」、安芸との境「芸州口」、石見との境「石州口」、および九州との境「小倉口」、これら4つの国境が戦場になったことから、長州側では「四境の役」または「四境戦争」と称した。
 緒戦となった「大島口の戦い」では、長州藩は苦戦を強いられたものの、高杉晋作の丙寅丸による幕軍艦隊への夜襲攻撃などによって勝利を収めた。残り三境の戦いにおいてもことごとく幕府軍を退け、これにより徳川幕府の弱体化が明らかになり、歴史は翌1867年(慶応3年)の大政奉還へと進むことになる。