2015  10  No.486


調査

 山口県における「移住」の現状
  〜過疎地域を中心に増加しつつある移住者〜


企業紹介(90)
  株式会社東武住販


法律のワンポイント解説
  債務者の財産をどうやって調査するか

           弁護士 山元浩

 
 
明 治 維 新 ゆ か り の 地
東行庵(下関市)
東行庵

高杉晋作の銅像

 幕末の長州藩士、高杉晋作の眠る「東行庵」は、美祢市との市境にほど近い下関市東部の吉田地区にある。
 晋作は幕末期の長州藩で中心的な役割を担ったが、その言動があまりに過激だったため文久3年(1863年)3月、藩主から10年の暇を出された。そこで晋作は惜しげもなく剃髪して坊主となり、「東行」と号する。その翌年、元治元年(1864年)12月には雪の功山寺で挙兵。分裂の危機にあ った長州藩を救ったが、慶応3年(1867年)4月、大政奉還を目前にして27歳という若さで病没した。
 晋作(東行)の遺骸は、本人の遺言により奇兵隊の本拠地に近い吉田に葬られ、出家した愛人うのが生涯菩提を弔った。「東行庵」は、うの(梅処尼) の住家として旧藩主毛利元昭らによって明治17年(1884年)に建てられ、初代庵主を梅処が務めた後、2代「梅仙」、3代「玉仙」へと受け継がれた。
 敷地内には晋作の墓や銅像があり、“晋作ファン”のほか、梅や桜、花菖蒲など四季折々の花を楽しむたくさんの観光客が訪れる。