2015  11  No.487


調査

 山口県における「道の駅」の現状と展望


地域ニュース
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明 治 維 新 ゆ か り の 地
大村神社(山口市)
大村神社

大村益次郎の墓

 大村益次郎は文政8年(1825年)、周防国鋳銭司村(現山口市)で村医の長男として生まれた。成長して大阪の適塾に入門。緒方洪庵に師事して医学や蘭学を本格的に学び、福沢諭吉ら俊才ひしめく適塾で塾頭まで進んだ。
 嘉永6年(1853年)、ペリー率いる黒船が来航するなど日本が諸外国の脅威にさらされると、時代は益次郎の高い学識を必要とし、伊予宇和島藩に 上士格で招かれて西洋兵学・蘭学の講義と翻訳を手掛けたほか、幕府の講武所教授も務めた。
 その後、長州藩に請われて正式な藩士となり、四境戦争(第2次長州征伐)では参謀として戦いを指揮。のちの戊辰戦争でも官軍の参謀を務め、明治新政府樹立に功績を残した。維新後は兵部大輔に任ぜられ近代日本陸軍創設に尽力したが、 明治2年(1869年)京都で襲撃され、その年に大阪で死去。遺骸は故郷の鋳銭司村に運ばれ葬られた。
 墓は国指定の史跡で、隣には妻琴子も眠る。大村神社は益次郎が没してから2年後、墓の裏に建てられたが、昭和21年(1946年)、墓からやや離れた現在地に再建された。